悠月屋 16/12/7
「休む」
疲れたら休んだらいい。
なぜそんなに強張った表情をしているのだい。
分からなくなったら立ち止まったらいい。
なぜそんなに早足で急ぐのだい。
もう
明け方は過ぎてしまったのかい。
それとも、
まだ
明け方を過ぎたところなのかい。
その憎いほどに固まったその心は、周りの命を凍えさせる。
だから、ゆっくり解いていこう。
大丈夫。
あなたがあなたであるうちは、「また」救われる。
悠月屋 16/11/30
「思い出」2
「持ち物が増えるとは、本当に恐ろしいことですね」
記憶は定かではない。
ここでいう持ち物とは生活に本当に必要な道具たちではなく、無意識の中で存在し主を主たらしめる存在のことをいうと思う。
いわゆる思い出であり、即ち主の過去である。
人間は進化を必要とする。
進化し続けることで、環境に自らを適合させ続ける。
主が生老病死を辿るうちに、その身に宿る思いも進化する。
進化の結果として現在がある事を証明するため、それを形にする。
思い出の品。にする。
私。という存在を成り立たせるため思い出の品を必要とする。
しかし、これの逆説は成り立たない。
今この瞬間を私が生きるために、思い出の品は使わないものが大概である。
私、という存在は大概の思い出の品が無くても、然としてここにいる。
それを手放しても、私は確かにこの世に存在する。
全て手放しても、私は確かにこの世に存在する。
何物でも無くなっても、私は確かにこの世に存在する。
思い出品を一つ減らすたびに、自分の要素が少しずつなくなっていくと、なにのでもなかった頃に帰ることができる。
そのたび、進化の余地が生まれてくる
進化の余地がなくなることは恐ろしいことだと、スナフキンは語っているように思う。
悠月屋 16/11/23
「思い出」
今日、私の思い出の品を友人にあげた。
高校の二年の時、初めて行った町で買ったCDだった。
彼女は今日が誕生日のようだ。
私も昨日初めて知った。
気が利くようなものは、元々何も持っていない。
夜の真ん中で本棚を漁った。
「持ち物が増えるとは恐ろしいことですね」
という様なスナフキンの言葉があったと思う。詳しくは覚えていない。
この品も、思い出とともに私の持ち物であった。
当時は、数少ないコレクションの一つであった。今も変わらない。
そう。私の思いが形に現れた物だ。
思いを込めて大事にしてきた。
だからこそ、この品を渡すことにした。
思い出の品というものは、歳とともにひたすら増えていくばかりだからだ。
思いは物としてあり続ける限り、当事者がいる限り、それは失われない。
私も品を見る度、無意識に過去を思い出していた。
これから手元に品がなくても、当時のことを思い出す時があるだろう。
抜き取った本棚の隅がぽっかりと空いた。
でも、ずっと大切にした品だから、今誰かの幸せに変わる。
品が手元から失われることは恐れない。
それがまた、いい思い出になるのだから。